世界の偉人を紹介します。

世界の偉人を紹介していきます。ゲーム理論、数学、ジョン・フォン・ノイマン、ガウス、ベートーヴェン、モーツァルト

ニールス・ボーア

ニールス・ヘンリク・ダヴィド・ボーア(Niels Henrik David Bohr)

f:id:gamenoiman:20130615232013j:plain

1885年10月7日 - 1962年11月18日)は、デンマークの理論物理学者[1]。量子論の育ての親として、前期量子論の展開を指導、量子力学の確立に大いに貢献した。1908年ロンドンオリンピック、サッカーデンマーク代表選手(非補欠登録GK)

 

****エピソード****

 

1997年に107番元素がボーアの名にちなみ「ボーリウム」と命名された。

ボーアはランタノイドの性質の類似性や3価イオンの色などからランタノイドの電子軌道の構造を推定し(ボーアのランタノイド仮説)、当時未発見だった72番元素はランタノイドではなくジルコニウムに類似したものだと予言してボーア研究所のディルク・コスターとゲオルク・ド・ヘヴェシーにジルコンの分析を提唱。結果発見されたのがハフニウムである[1]。

なお、ボーアは若い頃サッカーが得意だったが、デンマーク正代表選手としてオリンピックに出場し銀メダルを獲得したのは弟のハラルト・ボーアである[2]。ハラルトは数学者で、リーマンのゼータ関数を研究し、また概周期函数(英語版)を発見した。 文武両道のハラルトに比べ、数学の虫だったニールスはサッカーの試合で失点する度に「ニールスはGKなのに頭の中は数学の事でいっぱいだからシュートが止められない」と数学好きと絡めて茶化されて、果てには「紙に数式をメモしてる間にゴールされてしまった」という逸話がジョークとして残っている。1908年ロンドンオリンピックは欠員が出た場合の予備選手として声がかかっていたが本選には招集されていない。

また、1975年には、息子のオーゲ・ニールス・ボーアノーベル物理学賞を受賞した。

************

 ネットビジネスで1億円稼いで自由になった元皿洗いの物語